一排会の由来と歴史


一排会。第一東京市立中学校(現東京都立九段高等学校)の「一」。バレーボール=排球の「排」。その二文字をとって命名されたこの会は、OB・OGの親睦会として現在も活動を続けています。
発足して約50年、この半世紀の間に世の中ではさまざまな出来事がありました。しかし、一排会は不変のポリシー(バレーを肴に一杯飲る)を貫き通し、ついには21世紀を迎えることができました。これもひとえに、草創期から現在に至るまでの全会員の皆様のおかげです。
以下、1998年に発行されました「一排会の半世紀」に掲載された佐々木会長の挨拶より引用いたします。(全文)

一排会会員の皆様、お元気ですか?
東京都立九段高校(旧市立一中)バレーボール部OB会「一排会」は本年、創立50周年を迎えることになりました。戦後間もなくに結成されてから半世紀。日本社会、母校は様々な発展を遂げましたが、九段で白球を追った仲間も老若男女500人を超える一大組織となりました。ご同慶の至りです。
そこで、1998年度の総会は「設立50周年記念」のタイトルを付し、同時に「50周年記念誌」を発行することとしました。

私(高14回)は今年3月早春、湯浅嘉章名誉会長(高4)から「召集令状」を受け、静岡・中伊豆温泉に駆けつけました。高4前後の先輩らは数年に一度、懇親・談論の「一杯(飲む)会」を開催しており、そこに招かれた次第です。会場の割烹旅館「しもむら」には名誉会長始め、同期の諌山滋=以下敬称略=、青木満男、小林宏、阪本敬彦ほか、大先輩の岡村宏(中15)、竹島泰浩、平野静夫(高2)、さらに斎藤仁(高5)、女子一、二期生の長坂(上条)文子(高5)、酒井(宇野)佐和(高6)の先輩らが集まりました。
まさしく一排会草創期のメンバーです。そこで、当時の思い出話し。一排会はいつ、どのようにして結成されたのか。
湯浅「一排会は昭和23年(1948)、卒業間近の平野、竹島、青石(故人)さんらが呼びかけて作った。それは間違いない」
竹島「よく覚えていない。オレの家に放課後、みんなで遊びに来て、排球部の会報を出そうや、という話になった。あの頃は出ると負けだったから『排報』じゃなくて『敗報』だ、なんてね」
平野「当時は一球会(バスケット)、一水会(水泳)、文科系でも一星会(天文)などが出来ていて盛んに活動していた。特にバスケは強かったな。我々も追い付こうと」
長坂「女子部は私たちが作りました。前年から男女共学が始まり、私どもの時に100人ぐらいが入学してきて本格化。女子のクラブ活動も一斉にスタートしました」
諌山(ボールを持参して)「今はこのようにすべすべしたシームレス。我々の頃はひどいボールだった。よく神田の運道具店に掘出物を探しに行きました」
湯浅「こうなったら、50周年にはぜひとも初代会長の窪徳忠さん(名誉会長)に出席をお願いしなければいかん。大先輩には本当にお世話になった」

あれから半世紀、一排会はめでたく50周年を迎えることになりました。「何か記念になるものを」と幹事諸君が頭をひねった結果、記念誌を発行することにしました。今年は会員名簿の改訂時期にあたることから、名簿に思い出アルバムをプラスして記念誌「一排会の半世紀」としました。写真は母校のアルバムが中心ですが、一部OBから借用したものもあります。
記念総会の方は、バレーボールをサカナに「一杯(飲む)会」の基本精神に変わりはありません。出来るだけ多くのOB、OGに集まってもらい、節目を祝いたいと考えます。ご協力のほど、よろしくお願いします。 以上「一排会の半世紀」より引用

というわけです。こうしてみますと、いつも飲んでばかりのようにも思えますが、肝心のバレーボールの方でも輝かしい実績を残しています。
1976年 千代田区男子6人制バレーボール大会において初優勝
1977年 千代田区9人制バレーボール大会において男女共に優勝
1979年 新体連東京大会男子優勝、女子準優勝
1979年 クラブカップ東京都大会優勝。神戸での全国大会で9位
それから20年以上の歳月を経て、2001年には全国大会当時のメンバーを中心に千代田区9人制大会に出場し、一回り以上若いチームを相手に堂々3位という不死鳥のような活躍をしました。(平均年齢約42歳)
これからも一排会は「飲み」と「バレー」という2本の柱を中心として活動を続けます。
新たな活動などについては当HPまたは会報にて皆様にご連絡いたします。今後とも一排会をよろしくお願いいたします。


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